ブッダは入滅後、悟りの世界に入りました。そのことをなんというでしょう。
義浄(ぎじょう)は玄奘と同じ天山北路を経て、チベットに入り、ポタラ宮でチベット密教を学びます。25年の滞在後、多くの経典などを持ち帰り、翻訳を行い仏教の発展に貢献しました。◯✖️のどちらでしょう。
インドネシアでは、仏教とヒンドゥー教が共存していましたが、8世紀〜9世紀に仏教の勢力が拡大しました。ボロブドゥール寺院は、その頃ヒンドゥーの建物が仏教に変更されて建造されたものです。◯✖️のどちらでしょう。
カンボジアのアンコール朝は、ヒンドゥー教や仏教を信仰していました。12世紀に30年以上の年月を費やしてアンコール・ワットが作られ、アンコール・トムはその後に完成されたものです。◯✖️のどちらでしょう。
▶︎ ヒントはこちら仏教検定5級 指定教材「ブッダが“遺言”で語った「自分らしく生きる知恵」—遺教経」p.28~29
仏教の力で混乱する世を鎮め、全世界を照らして人々を救う大仏が造立されます。大仏建立です。正しいものはどれでしょう。
中国の禅はインドから来た菩提達磨が始祖とされ、少林寺で9年間壁に向かって坐禅して悟りを開いたといわれています。中国の禅宗はその後隆盛を迎え、五家七宗と呼ばれます。五家の内、臨済宗、曹洞宗はとりわけ栄えた宗派です。◯✖️のどちらでしょう。
聖徳太子は、仏教の教えを国づくりに活かし、自らも経典解釈を書物にしました。その書物は次のどれでしょう。
苦行を止めたシッダッタに乳粥を施した人は誰でしょう。
4世紀ごろ仏教が朝鮮半島に伝えられ、多くの寺院が建てられました。百済の清明王の時代には仏教が日本に伝えられました。◯✖️のどちらでしょう。
空海は体系的な密教を日本に伝え、密教は国を護る国家鎮護の仏教となりました。空海について間違っているのはどれでしょう。
江戸時代、禅宗の一つ「黄檗宗」が伝えられました。正しいのはどれでしょう。
シルクロードと呼ばれる文化やものが交流する中国、インド、ユーラシア大陸を横断する通商路が作られました。インドから西に伝えられた<西域仏教>は、途中のバーミヤンを通って、タクラマカン砂漠周辺のトゥルファン、キジルなど砂漠周辺のオアシス都市に伝えられ、そこに大規模が仏教石窟寺院が作られました。◯✖️のどちらでしょう。
中国の僧、法顕(ほっけん)は僧の戒律<律蔵>を得るため天山南路(西域北道)を経由してインドに向い、翌年には多くの経典類を入手して、再び同じ道で中国に戻りました。◯✖️のどちらでしょう。
出家したシッダッタは6年間の苦行を止めてしまいます。その理由として正しいものはどれでしょう。
日本に仏教が伝わったのは、538年と言われています。仏教はどこから伝えられたでしょう。
インドから南方に伝えられた仏教は南伝仏教と呼ばれます。アショーカ王は、仏教を広めるため王子・マヒンダを(A)に派遣します。やがてその地は大寺派の上座部仏教の拠点となります。(A)に入る正しいものはどれでしょう。
▶︎ ヒントはこちら仏教検定5級 指定教材「ブッダが“遺言”で語った「自分らしく生きる知恵」—遺教経」p.23, 本文1行目
智顗は、6世紀ころまでに中国に伝えられた様々な経典類を整理し、内容を分別して『法華経』を中心に総合性をもつ宗派、天台宗を比叡山で開創しました。◯✖️のどちらでしょう。
ブッダがサールナートで初めて説法を行った相手は誰でしょう。
ブッダが説法を行い、それを聞いて弟子が出来たことが仏教の始まりです。仏教の成立にとって欠かすことができない3つとは何でしょう。
大化の改新後、天皇を中心とする中央集権制度が出来ました。聖武天皇は仏教の教えを広めるため、国ごとに寺を建てさせました。その寺はなんと呼ばれたでしょう。
苦行を止めたシッダッタを見た修行仲間は落胆します。その理由で正しいのはどれでしょう。
神々の国日本に仏教が採り入れられ、神と仏を結びつけた「神仏習合」の考え方が生まれました。次のうち間違っているのはどれですか。
禅宗は、インドの達磨大師を始祖とし鎌倉時代に日本に伝えられました。次の打ち間違っているのはどれでしょう。
口承や暗誦によって伝承されてきたブッダの教えは、文字の使用によって大きく変わります。文字に記録された経典の整備や編纂が進みます。このころ岩や石柱に刻まれた文字がパキスタンやインドの各地に(A)として残されています。(A)に入る正しいものはどれでしょう。
▶︎ ヒントはこちら仏教検定5級 指定教材「ブッダが“遺言”で語った「自分らしく生きる知恵」—遺教経」p.21, 下段1行目
中国に仏教が根付いたのは、経典の翻訳を行う外国語に精通した訳経僧たちが、西域からやって来て重要な活躍をしました。安世高(あんせいこう)、鳩摩羅什(くまらじゅう)は、いずれも2世紀から5世紀頃に中国にやって来て経典の翻訳を行った僧たちです。◯✖️のどちらでしょう。
浄土教の僧侶で、寺に留まらず各地を回りながら布教を行う僧侶は遊行聖などとも呼ばれた。次の中で遊行僧ではない人は誰でしょう。
仏教を広めるため、戒律を授ける僧侶として鑑真を迎えます。間違っているのはどれでしょう。
シッダッタ(ブッダ)が過ごした少年時代で正しいのはどれでしょう。
仏教が国づくりの思想となり、国家の平和や万民の安寧を願って大仏が建立されました。間違っているのはどれでしょう。
シッダッタは乳粥の供養をうけた後、隣の村外れにある菩提樹の下の平らな岩の上で深い瞑想に入り、7日後に悟りを開きました。その場所はどこでしょう。
第1回結集の100年後、教団の戒律を緩めるか否かを問う会議、第二結集が開かれました。十事を呼ばれる内容を巡って意見が保守派と革新派とに分れる(A)と呼ばれる分裂が生じ、さらに様々な分裂となって20部派に分れる枝末分裂をもたらし、教団は部派仏教の時代に入ります。(A)に入る正しいものはどれでしょう。
▶︎ ヒントはこちら仏教検定5級 指定教材「ブッダが“遺言”で語った「自分らしく生きる知恵」—遺教経」p.19,本文上段10行目
ブッダが入滅2000年後、日本で末法と言われる時代が始まり、浄土信仰が急速に広まりました。次の中で正しいのはどれでしょう。
ミャンマーでは9世紀ころ、水上交通の要所バカンに仏教が伝わり、根付きます。バカン王朝は仏教を信仰し、パゴダと呼ばれる仏塔を建て、スリランカから経典を取寄せ、戒律を守り仏教が繁栄します。現在も当時の隆盛を遺跡で見ることができます。雄大なパガン万搭はその数が多く、(A)が残っています。(A)にはいる正しいものはどれでしょう。
▶︎ ヒントはこちら仏教検定5級 指定教材「ブッダが“遺言”で語った「自分らしく生きる知恵」—遺教経」p.26~p.27
浄土経は曇鸞(どんらん)、道綽(どうしゃく)、善導(ぜんどう)らによって大成され、曇鸞の『往生要集』には、「往生は、他力によるしかない」と説く浄土教の基が記されている。◯✖️のどちらでしょう。
シッダッタが弱肉強色の世界を目の当たりにし、この世の生きる意味を自らに問いかけたきっかけのうち、正しいものはどれでしょう。
『往生要集』には、現世で悪業を行ったものが往く恐ろしい地獄の様子が説かれています。間違っているのはどれでしょう。
日蓮は、飢餓や自然災害で苦しんでいる民衆を救おうと末法救済の意見書を鎌倉幕府に呈しました。その文書は次のどれでしょう。
ブッダの初めての説法は、何と呼ばれているでしょう。
神道を国教とした明治政府は、神仏の分離を行いました。また、仏教の近代化の動きもこのころ活発になりました。間違っているのはどれでしょう。