シッダッタが弱肉強色の世界を目の当たりにし、この世の生きる意味を自らに問いかけたきっかけのうち、正しいものはどれでしょう。
インドネシアでは、仏教とヒンドゥー教が共存していましたが、8世紀〜9世紀に仏教の勢力が拡大しました。ボロブドゥール寺院は、その頃ヒンドゥーの建物が仏教に変更されて建造されたものです。◯✖️のどちらでしょう。
日蓮は、飢餓や自然災害で苦しんでいる民衆を救おうと末法救済の意見書を鎌倉幕府に呈しました。その文書は次のどれでしょう。
シッダッタが出家を決意した理由として正しいものはどれでしょう。
『往生要集』には、現世で悪業を行ったものが往く恐ろしい地獄の様子が説かれています。間違っているのはどれでしょう。
玄奘三蔵は、仏教への様々な疑問を解決しようと、インドに向い、17年をかけて多数の経論を持ち帰り、帰国後は長安で経典の翻訳にあたり、1347巻もの中国式の経典を完成させ、その後の仏教お伝播に大きく貢献しました。◯✖️のどちらでしょう。
智顗は、6世紀ころまでに中国に伝えられた様々な経典類を整理し、内容を分別して『法華経』を中心に総合性をもつ宗派、天台宗を比叡山で開創しました。◯✖️のどちらでしょう。
ブッダがサールナートで初めて説法を行った相手は誰でしょう。
インドから南方に伝えられた仏教は南伝仏教と呼ばれます。アショーカ王は、仏教を広めるため王子・マヒンダを(A)に派遣します。やがてその地は大寺派の上座部仏教の拠点となります。(A)に入る正しいものはどれでしょう。
▶︎ ヒントはこちら仏教検定5級 指定教材「ブッダが“遺言”で語った「自分らしく生きる知恵」—遺教経」p.23, 本文1行目
戦国時代の一時、民衆に支持された仏教徒と領主大名とが対立します。間違っているのはどれでしょう。
ブッダは入滅後、悟りの世界に入りました。そのことをなんというでしょう。
鎌倉幕府の保護を受けた五山に様々な人々が集まり、仏教を源とする文化が生まれます。間違っているのはどれでしょう。
徳川幕府は仏教を政治に取り込むため、法制度を整えました。間違っているのはどれでしょう。
日本に仏教が伝わったのは、538年と言われています。仏教はどこから伝えられたでしょう。
仏教を広めるため、戒律を授ける僧侶として鑑真を迎えます。間違っているのはどれでしょう。
カンボジアのアンコール朝は、ヒンドゥー教や仏教を信仰していました。12世紀に30年以上の年月を費やしてアンコール・ワットが作られ、アンコール・トムはその後に完成されたものです。◯✖️のどちらでしょう。
▶︎ ヒントはこちら仏教検定5級 指定教材「ブッダが“遺言”で語った「自分らしく生きる知恵」—遺教経」p.28~29
シッダッタは乳粥の供養をうけた後、隣の村外れにある菩提樹の下の平らな岩の上で深い瞑想に入り、7日後に悟りを開きました。その場所はどこでしょう。
苦行を止めたシッダッタに乳粥を施した人は誰でしょう。
ブッダが亡くなって間もなく、その教えが散逸しないように500 人の弟子たちがラージャガハに集りブッダの教えを確認する (A)と呼ばれる集まりが開かれました。ブッダの弟子の(B)が師の直接の教えを口承し、参加者が確認して「教え」が確定された。(A)(B)の正しい組み合わせはどれでしょう。
▶︎ ヒントはこちら 仏教検定5級 指定教材「ブッダが“遺言”で語った「自分らしく生きる知恵」—遺教経」p.16,本文1行目
法然は、善導の教えに基づいて阿弥陀仏を信じて念仏をとなえれば、誰もが浄土に往生できると説きました。次のうち正しいのはどれですか。
寺院の法事や行事を通して、江戸時代に仏教は庶民の日常との繋がりを深めます。間違っているのはどれでしょう。
大化の改新後、天皇を中心とする中央集権制度が出来ました。聖武天皇は仏教の教えを広めるため、国ごとに寺を建てさせました。その寺はなんと呼ばれたでしょう。
ブッダが入滅2000年後、日本で末法と言われる時代が始まり、浄土信仰が急速に広まりました。次の中で正しいのはどれでしょう。
出家したシッダッタは6年間の苦行を止めてしまいます。その理由として正しいものはどれでしょう。
聖徳太子は、仏教の教えを国づくりに活かし、自らも経典解釈を書物にしました。その書物は次のどれでしょう。
4世紀ごろ仏教が朝鮮半島に伝えられ、多くの寺院が建てられました。百済の清明王の時代には仏教が日本に伝えられました。◯✖️のどちらでしょう。
高句麗(こうくり)や百済(くだら)から多くの僧が日本に渡り仏教や当時最新の知識を伝えました。渡来僧の慧慈(えじ)は、聖徳太子の師として仏法を日本に伝えた重要な人物です。◯✖️のどちらでしょう。
シルクロードと呼ばれる文化やものが交流する中国、インド、ユーラシア大陸を横断する通商路が作られました。インドから西に伝えられた<西域仏教>は、途中のバーミヤンを通って、タクラマカン砂漠周辺のトゥルファン、キジルなど砂漠周辺のオアシス都市に伝えられ、そこに大規模が仏教石窟寺院が作られました。◯✖️のどちらでしょう。
中国に仏教が根付いたのは、経典の翻訳を行う外国語に精通した訳経僧たちが、西域からやって来て重要な活躍をしました。安世高(あんせいこう)、鳩摩羅什(くまらじゅう)は、いずれも2世紀から5世紀頃に中国にやって来て経典の翻訳を行った僧たちです。◯✖️のどちらでしょう。
江戸時代、禅宗の一つ「黄檗宗」が伝えられました。正しいのはどれでしょう。
ブッダの初めての説法は、何と呼ばれているでしょう。
神道を国教とした明治政府は、神仏の分離を行いました。また、仏教の近代化の動きもこのころ活発になりました。間違っているのはどれでしょう。
鎌倉幕府は、京都と鎌倉に禅宗の五山制度を定め、ここから後に禅宗文化とよばれる日本文化が生まれます。五山制度で間違っているのはどれでしょう。
最澄は天台の教学を広めるため、一乗止観院を建てました。その寺の現在の名前はどれでしょう。
苦行を止めたシッダッタを見た修行仲間は落胆します。その理由で正しいのはどれでしょう。
シッダッタ(ブッダ)の母、マーヤー夫人はある日不思議な夢をみました。天から〇〇が降りて来て夫人の右脇腹から胎内入り込んだ夢でした。占い師によれば、ガネーシャという神が夫人の胎内に入って懐妊したと伝えられました。〇〇に入る正しい言葉はどれでしょう。
中国の僧、法顕(ほっけん)は僧の戒律<律蔵>を得るため天山南路(西域北道)を経由してインドに向い、翌年には多くの経典類を入手して、再び同じ道で中国に戻りました。◯✖️のどちらでしょう。
神々の国日本に仏教が採り入れられ、神と仏を結びつけた「神仏習合」の考え方が生まれました。次のうち間違っているのはどれですか。
中国から伝えられた真言密教では、「曼荼羅」と呼ばれる尊像を図像化した掛図を瞑想修行に用い、手と指で印契(いんげい)を結び、口で真言(マントラ)をとなえて生身のまま最高の境地の成仏に達することができると説くことに特徴があります。◯✖️のどちらでしょう。
シッダッタ(ブッダ)は、どのようにして生まれたでしょう。